敦賀は杉浦千畝「命のビザ」の舞台

武生教会への行程で敦賀について再認識しました。1940年、ユダヤ人難民はナチスから逃れるためリトアニアの日本領事館に押し寄せました。杉原領事代理は悩み苦しんだ末、日本外務省に背いてビザを発給しました。ユダヤ人難民はそのおかげで「命のビザ」を手に敦賀港にたどり着くことができたのです。6千人が救われました。彼に迫ってきた聖句は「主の前にあなたの心を水のように注ぎ出せ。町のかどで、飢えて息も絶えようとする幼な子の命のために、主に向かって両手をあげよ。」(哀歌2:19・口語訳)私達も、また。